コミュニケーションの大切さと怖さ
五十代になると、若い時には見えなかったこと、聞こえなかったこと、知らなかったこと、理解できなかったことが大分分かってくるもんだ。
特に今、同世代の派遣仲間が多い。
今週、配属先と合わず、潔く辞めた派遣仲間の話がキッカケでみんなの「実は私も辛かったの」があふれた。
「ずうっと言っちゃいけないと思っていたのに、彼女が思いっきり話しているの聞いたら、キモチが楽になったわ」と彼女は言った。
「昔、正社員の時、心が疲れてあ〜ダメだって思い、会社辞めて海外に留学したことがあるの」もうひとりの彼女が言った。
みんな辛い時期があったんだなぁ。
そして、その辛さを乗りきる術は千差万別。
でも、そんな体験談を聞くとホッとする。
人間はキモチを吐き出すコミュニケーションが必要な時もある。
しかし、必ずしも全員が同じキモチであるわけではない。
同調もあれば、嫌悪も生まれることがある。
例えば、相葉ちゃんが主演したドラマ「ようこそ、我家へ」では、知らないうちに仲間に妬まれて、攻撃され、殺害されそうになった。
今の職場では、私は派遣だから唯一のコミュニケーションの場所はランチタイム。
そんな私も数回しか顔合わせしていない、話したこともないひとりの派遣仲間から悪口を言われてると教えてもらいびっくりした。
いやぁ、気をつけようがないよね、相手が勝手に嫌悪感持つことに。
下手すると存在自体が頭くるとか思われちゃうんだから。
さりとて、いちいち気にするとストレスたまっちゃう。
そのせいか、派遣仲間のランチタイムでは今まで当たり障りのない会話ばかりであった。
情報通の派遣仲間によると、職場には私の全く知らない悪意に満ちたコミュニティもあり、派遣仲間が被害にあった話も聞いている。
人の口に戸は立てられぬから、やはり、みんなのキモチは楽になるが、ほどほどにするが寛容だ。
そのせいか、悪意に満ちたコミュニティに不穏な空気が流れはじめたかもしれない。
やはり、人間には魔物が棲んでいる。
ひとところに長居する場合のリスクだな。
私の思い過ごしであればよいのだが…。
面倒だなと思いつつ、やはり、発言には十分配慮が必要だ。
しかし、優等生って意外と嫌われのも知っている。
そして、簡単に人を信じてはいけないことも。
かつて、とても仲の良かった信頼できる弟に裏切られ、両親も信じられなくなった時期がある。
そのとき、私は両親に思いの丈をぶつけ、両親のもとから去ろうと思った。
すると両親は、悟ったように全てを正直に応えてくれた。
そして、元弟が私を裏切ったと教えてくれた。
両親は、苦渋の選択だったんだろう。
とても、言葉をひとつひとつ選んで私に教えてくれた。
母は私に「気をつけるんやで」と愛情あふれる忠告をくれた。
その言葉は姉弟関係を破壊するのに十分の忠告だった。