平常心を保てる生き方を考える--☆
人間って不思議、いや、私だけかな。
どんなに仕事のやる気があってもとたんできなくなるときがある。
・眠いとき
・お腹減ってるとき
・平常心ではいられないとき
先週、娘の郵便物が紛失しイキナリキレられた。
私の記憶では、ポストから郵便物を取り出し、娘の勉強机に置いた気がした。
しかし、その記憶が曖昧でいつだったかあてにならない。
しかし、私は確実に娘が手にできるようにわざわざ置きに行ったはず?だった。
まっ、とにかく娘はひたすら怒り。
私はそのせいで平常心ではいられず、仕事がまったく手につかなくなった。
この世に生まれ落ち、物心ついてから幾度となく平常心をかき乱されることに遭遇した。
人間は感情の動物だとよくいったもので、平常心を乱されるとなにもやる気がおこらなくなる。
今回は、原因の郵便物がかなり遅れて配達されたので問題は解決した。
そう、受け取ったと思ったのは私の勘違い。
その件について娘とじっくり話し、互いにあやまった。
そう、娘も私も実はイヤなことが重なりキモチがナーバスになっていて、つい、口のきき方が相手を傷つけていた。
この場合、家族であり互いに相手を思いやるキモチがあったので上手くおさまった。
世の中は、イヤなことがあってもこうやってゴメンって互いにあやまって事が済むのが一番なんだよね。
でも、世の中はこのように上手く事が収まることばかりではないと知っている。
例えば私には二つ下の弟がかつてはいた。
この世の中で一番信頼していたと思う。
その関係は永遠だと信じていた。
しかし、それは幻だったと今は思う。
両親から兄弟仲良くと言われたが今は絶対無理だと思う。
一時は私がおかしいんじゃないかなと思って、弟二人が仲良くしてくれればよいと思っていた。
しかし、年の離れた弟から、最近二つ下の弟から兄弟らしからぬ仕打ちを受け、もう兄弟だとは思わないと聞いた。
やはり、アルツハイマーだった母が私に忠告してくれた「あの夫婦は怖い」は真実だった。
「あの嫁は怖い」ではなく弟の本質を悪質とみきわめた実の母。
実は、私はどこかで弟の本質は腐っていないとずっと信じたかったんだよね。
私は、その辺りがおひとよしなのかもしれない。
例えば、会社の同僚には悪い人はいないと純粋に信じていたり。
血を分けた弟や叔父が私には悪意をぶつけられるとは思わなかった。
そして、50歳を過ぎてやっとその人間の本質なんだと分かった。
人間の本質とは生まれ持った品格なんだろうか、とにかく、二つ違いの弟や父方の叔父たちはとにかく品格を持ち合わせない可哀想な人たちである。
母は常々私には言っていた、
「人のものを欲しがってはいけない
自分で築きあげなさい」
まったくその通りとだとずっと思っている。
その母の言葉を聞き育った二つ違いの弟は同じ心根の持ち主だっと思ってた。
卑しい人間にはなりたくないし、ちかづきたくもない。
だから、私には年の離れた、同じ心根の弟ひとりでよい。
両親の言葉を守り兄弟二人が仲良くしていく。
両親も分かっていると思う、兄弟を仲違いさせたのはなにか。
話は戻るけど、娘と互いのキモチを腹をわってはなせてうれしかった。
たぶん、私は二つ下の弟にこの腹を割った話し合いをずっと期待した。
それは叶わない。
50歳になるまでに、自分のお人好しで何度傷つけられたかな、、、
今の自分ならサッサと見極めて撤退するのにね。
人間ってイヤなことをたくさん経験して傷つかないようになるのかもしれない。
幸い、年月ともに未練というものがうすれたように思う。
それは自衛本能なんだろうね。