私のキモチはどこにあるんだろう
人間のキモチというのはどこにあるのかなと考えたことがる。
頭かな、心臓あたりなのかな。
学問的に言うなら色々なホルモンに細胞が反応して起こる現象なんだろうけどキモチと摩訶不思議なものだと思う。
キモチひとつで世界が変わってしまうしね。
どんなことがあってもキモチがなければたんたんと物事が進められると思うこともある。
実際は年がら年中キモチは私について回っている。
ほんとうにキモチというのは摩訶不思議だ。
キモチ次第で同じ出来事もまったく別ものになってしまうことがざらにある。
自分でキモチをコントロールする学問だって存在する。
このキモチというやつは、年齢や自分のとりまく環境によって変わってくる。
ふと土曜日に娘と一緒に行動していて、昔の私なら都会に遊びにきてこんなキモチなかったなぁ。
うまく表現できないけど地に足が着いているというか、昔のふわふわ感はない。
昔は、自分がどこに向かっているのか分かっていない危うい感じがしてふわふわしていた。
でも、今は買い物がしたいとかという前に娘と一緒の時間を過ごすというのが大前提。
何のブレもなく私どこにいっちゃうんだろうなんて思わない。
キモチが定位置に収まった感じだね。
確かにワクワク・ドキドキ・ドキッなんてことは皆無の世界。
でもほっこりまったりでこれはこれでいいよね。
きっと、まだ親に守られ、親の庇護のもとにいた頃は私の両親はこんなキモチだったんだろうな。
大人になるにつれて親の庇護から離れワクワク・ドキドキ・ドキッって感じる世界に迷い込み。
だから両親が目の前から消えてしまったとき、私のキモチはプチ混乱を起こした。
きっと両親の存在が私の足が地につくための台になっていてくれたんだろうな。
たぶん今もその台を降りるのが嫌でたまらない私がいる。
でも、今度は私がしっかりした台にならなくてはいけないんだ。
娘たちがふわふわしても、危うくなったら足がつける台にね。
台にならなくちゃいけないんだけど、50代になってもたいしたキモチを持っているわけではない。
別の意味では不安定だよね。
だって、iPhoneの画面が割れただけでドンヨリしちゃうんだからね。
画面修理した途端、サクサクノマドの仕事こなしちゃったもの。
両親をなくし最近思うのは、褒められたり、怒られたり、とにかく誰かに評価されたいというキモチがあり、それがキモチの大きな原動力であると思う。
だから、常にそういう存在が人間には必要なんだとね。
仕事の上でもキモチは大切で、キモチをあげるためにモチベーションをアップしなくちゃとかよく言われる。
だから、朝から気分が良いだけで仕事の効率があがるもんね。
そう意味では、スタバでコーヒー飲みながら仕事するのは好きだな。
あとは図書館の勉強机で勉強するのもね。
久々に大学の学食に行ったら、やっぱりヤル気がでてきた。
ヤル気が起きる空間ってあると思う。
好きな空間が私のキモチをアップしてくれる。
怪談じゃないけど、実家の居間に女性の幽霊がいるらしい。
弟の友達が居間で寝ていて遭遇したんだって。
私たち、家族は毎回そこにとまるのだけど、一度も遭遇しない。
弟の友達曰く、その女性は悲しい顔をしていたらしいから、その後泊まる時は、母かもしれないから話しかけるのね。
でも、一度もでてきてくれない。
きっと、パパが迎えにきたのかな?ପ(⑅ˊᵕˋ⑅)ଓ