どうにもならないもの
山田ズーニーさん「どうにもならないものを受け入れる力」を読んだ。
世の中にストレスの消えない理由は、世の中に生まれ落ちた瞬間、人間ですから、必ず相手が生まれる。
この相手というものは厄介なものだと思う。
そう、何を考え何をするか予測不能なのだ。
だから往々にして、どうにもならないことに遭遇する。
混雑した駅の通路を乗り換えに急いでいる時、
向こうから歩いてきた人がぶつかってきた、
こちらは悪くないけど、常識として「ごめんなさい」と言った瞬間
「バカヤロー」と怒鳴られ時。
腹の底から、憎悪と悔しさ、腹立たしさがこみあげてきた。
信号が変わり、左折したところに車が突っ込んできてぶつけられた。
当然相手はあやまって来るものと思っていたら、オバサン3人が
「何やってんのよ、降りて来なさいよ!」とすごい形相で喚き散らされた。
はぁ~、なんだこのクソババァ共、頭おかしいんじゃないのと思った。
瀬戸内寂聴さんがおっしゃる。
「人間は善悪両方を持っています。
それを、自分の勉強や修行によって、善悪の判断をし、
悪の誘惑に負けずに善行を積んでいくことが人間の道なのです。」
しかし、人間の道には行かず
ダークサイドに落ちている輩もたくさんいる。
そういう輩に遭遇し、どうにもならないことに憤る。
山田ズーニーさん どうにもならないものを受け入れる力として
「戦わず・逃げず・弱らず
どうにもならないことを受け入れるためには、
あとはもう、自分の器を広げるしかない」
確かに、そうするしかないんだけど。
なんかおかしいよね。
自分の勉強や修行によって、善悪の判断をし、 悪の誘惑に負けずに善行を積んだ人が 積まない人を受け入れなければならない。
納得がいかないようね、ストレスたまるよね。
だから神が存在するんだろうな。
「バチ」があたるんだよね。
スカッとするんだよね。
現実の社会は、そううまくはいっていない。
人間の道を極めると、ストレスがどんどんたまり病を引き起こす。
人間の道を極めないとストレスを溜めないような気がする。
そんな世の中じゃいけないよ。
自分の勉強や修行によって、善悪の判断をし、
悪の誘惑に負けずに善行を積んでいくことが人間の道。
人間の道をまっすぐ行くことが当たり前の世の中になってほしい。