実家がなくなる月
両親が亡くなり、もうすぐ父の命日。
年の離れた弟が隣人である私と二つ違いの弟夫婦の異常さに嫌気がさして実家を手放した
だから、年初めから実家の片ずけを手伝っている。
すると懐かしい品が数々でてきて、しばし思い出にひたる。
この間は、娘たちの哺乳瓶がでてきた。
私の母乳があんまりでないからかなりお世話になった。
こだわって購入したっけ。
ただ、いろいろ哺乳瓶を揃えたけど、市販のヒーンズの瓶にそのまま哺乳瓶の口がつけられ、娘たちにはサイズがちょうどよかった。
今回、大量のビーンズの瓶が収納庫からでてきた。
亡き母がとっておいたのね。
娘たちは乳首にこだわり、ヌークのSサイズしかうけつなかっかったっけ。
さらにシリコン製は嫌って吸い付いてくれなかったなぁ。
いまや、19歳と17歳。
よく、元気に育ってくれた。
私は、初めての妊娠なのに、三重苦。
高齢出産
妊娠性糖尿病
さらにダウン症のリスクに怯えた。
とっても不安だった。
次女のときは、慣れから8ヶ月で関東から関西まで無謀にも車で移動し、出血。
担当医にメチャ怒られた。
長女の出産は、子宮筋腫のため子宮口が開ききらず、緊急での帝王切開だった。
陣痛と手術のダブルパンチだったなぁ。
私もこの世からいずれいなくなるから、実家がなくなるのはちと寂しいが、末の弟が幸せになるなら仕方ないと思う。
母だってみんなと楽しく過ごしたいから実家手放しマンション買って私達と暮らすと言っていた。
それを金ほしさに阻止した弟夫婦。
精神病を患っていない母を精神病院に閉じ込めた鬼畜の夫婦。
なぜ、母は悲しみの中亡くならなくちゃいけなかったのか。
どうして、平気にそんなことが弟にできたのか未だに理解できない。
荷物を運び出した実家はがらんとしてきた。
こんな立派な家を建てたのに、両親は自宅で息を引きとれなかった。
在宅治療は確かにたいへんだ。
私の祖母は、11年間夫を在宅で介護した。
やっぱすごいよな、ばあちゃん。
そんな祖母をずっと見てきた私。
しかし、自分の家族を守るにも四苦八苦していた私は母を自宅で介護できなかった。
弟夫婦をねじ伏せるチカラがなかった私。
今回だって末の弟に散々嫌がらせする弟を諭すこともできなかった。
約束の業者さんをすごい剣幕で追い返し、
弟は困り果て、業者からの苦情の事実を兄に直接メールしただけなのに、
そのメールを鬼畜の嫁に見せ
嫁が傷ついたから謝れとキレるアホな男。
いつからそこまで人間おちてしまったんだろう。
昔のやさしいましめな弟はもう存在しない。
あれはまぼろしと私の中では抹消した。
ただ血が繋がっているというだけ、かかわりたくもない品のない輩だ。
嘆かわしいを通り越し、悲しいとさえ思う。
どこかで、幼いときの純粋に信じられた弟がいると期待した。
でも、そんなのは微塵もないことと悟った。
どこかで弟同士は仲良くしてくれれば良いと割り切った姉の私がいた。
しかし、どんな言葉を重ねたっていずれは化けの皮がはがされるだろうとも思っていた。
案の定だ。
年の離れた弟も、そんな兄とは金輪際かかわらないそうだ。
人生一度だけ、そんなサイコパスの弟がいたことを悲しく思う。
きっと両親も事実が分かってとても悲しい思いをしている。
今月父の命日である。
末の弟といつものように両親や祖父母に会いに行こうと思う。
なぜ、兄弟からはみ出し者がでるのかぁ、、、
因果かなぁ。
母が言ってたな、我が家の長男は頼りない、あんたが長男やったらなぁ…。
いずれにしても、子供がいない弟夫婦だから、その代で家は終わりだ。
姉としては、末の弟に家を託す。