理解不能なものは遠ざかろう--☆
帰りの車でラジオを聴いていたら、スカロケのやしろ本部長が「理解できないことにぶつかり、理解しようとして苦しむ」って言っていた。
そうなんだ、私も今までに苦しんだことたくさんあった。
言われてみれば、自分には理解できないからなんだ。
基本、人間は自分以外の人間か何を考えているかわからない。
家庭という小さな社会では、ある程度予測が立てられるし、信頼関係があるから比較的おだやかでいられた。
でも、親や兄弟が予測不可能で一緒に居たくない存在だと、理解できない相手といえるんだろうね。
相方は、幼い頃に両親が離婚し、父に引き取られた。
父は、自分しかない人で、相方は、そんな父と暮らしたくなく高校生で家を出て友達と暮らした。
私も、ある事がきっかけで両親が理解できなくなり実家に三年ほど一切行かず、連絡も取らなかった時期がある。
親でさえ理解不能なときがある。
だから、なるべく苦しまない生活をするには理解不能だと思う相手から遠ざかるべきだと悟った。
若い頃、結婚前の恋愛は理解不能だったから、苦しかった。
本来、苦痛に感じた時点で離れた方が得策だったんだといまなら分かる。
苦しい中に、自分を置いておくのは、うまくいくという錯覚があるからなんだ。
相手が自分のことを大切にしていない時点でわからなくちゃいけないんだよ。
あの頃は戻ってこないけど、無駄な時間をすごさなかったら、相方に会えなかったし、娘たちも会えなかったから、あれはあれで時間つぶしだったんだろうな。
今、冷静に相手の行動を思い返せば、あの頃見えなかったものがたくさん見えてくる。
それは、昔の恋愛を懐かしむというより変な男に引っかかったものだと自分のアホさ加減を反省する。
これは、ふたりの娘の母として同じテツはふんでもらいたくないという親心からくるところも多い。
だから、波留さん主演の「あなたのことはそれほど」みたいに昔惚れた男に会って何も感じないなって思う。
実際に同窓会で会ったことがあるが、何も、いやどちらかというと嫌な感じがしたね。
振られたこと根に持っているのかもしれないが、話したくもないし、近づかないでというのが正直なキモチだった。
そう、私の中では理解できない人間としてしっかり分類されたようだ。
理解できない人間=近づいてはいけない人間なのだ。
私は、現在は心穏やかに過ごせる人間関係だけ良いと思う。
理解不能なものは遠ざける、さすれば心穏やかにすごすことができるなり!
( ◜◡‾)(‾◡◝ )