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私絶対普通の生活に戻るもん

50代、訳あってマルチタスクで働いています。








病気はちゃんと信頼できる専門の先生に出会うことが大切

あれは5年前。

 

両親を続けて亡くした私、自分の不調に気づかずにいた。

 

健康診断で血糖値が高めなんで、とうとう境界型から糖尿病になっちゃったと思った。

 

でも、妊娠性糖尿病の経験があるから食事療法と運動療法で大丈夫と高をくくってた。

 

その頃どんどん痩せていったのもようやくダイエットの効果がでたんだと楽天的に考えていた。

 

だって、一気に10kgくらい痩せて、20代前半の頃の体重まで減ったんだよね。

 

着れなくなった服が着れるのがうれしくてたまらなかった。

 

2年前くらいから、たびたび胃が動いていない感じがして、食欲不振と下痢を繰り返していた。

 

それも両親の入院で自分の体調に気をかけていられなくなっていた。

 

会社も大変な時だったので、徹夜をしては身体を壊す日々だった。

 

今から考えると、あんなクズの会社のために身体を壊すほど頑張ったのはアホだったと思うね。

 

あの時、とっととクズ会社を捨てて、母と過ごしたほうがよっぽどよかったことだろう。

 

母が亡くなった年の年末に会社の打ち上げで久々にちゃんぽんで酒を飲み、私の身体は壊れた。

 

次の日の夕方になっても吐き気がおさまらず、夜間救急に飛び込んだ。

 

年末だったので、担当医は早く帰りたいと言っていた。苦しむ私に「今日の患者は点滴をしたら、みんな回復したから」と言い点滴をした。

 

点滴の前にちゃんと血液検査をしていたにもかかわらずだ。

 

すると、腹痛がひどくなりベットでのたうち回る私を見て、慌てて他の救急病院へおくった、

 

次の病院でも点滴されていたところ、ますます体調が悪くなった。

 

血液検査の結果が出たところであわてて看護婦さんが点滴を外しにきて、血糖値が500あると告げ、点滴を変えた。

 

そして、治療のため緊急入院が必要だと言われた。

 

さらに、当院に入院すると費用がかかるので別の病院を紹介すると言われた。

 

その時には、とにかく痛みがすぐに収まるだろうと思っていた。

 

救急車で3つ目の病院についた時には痛みは最高潮。夜中だというのに、痛みで叫び続きていた私、ほんと同じ病室の方には迷惑をかけました。。

 

痛み止めを点滴の中に入れてもらいようやくおちつくものの、すぐに痛み止めの効果が切れて、猛烈な痛みが押し寄せてくる。

 

3時間に1度しか使ってはいけないと言われたが、尋常じゃない痛みに看護婦さんに何度もお願いして困らせた。

 

看護婦さんがこの痛み止めは使いすぎると脳がやられてしまうから、我慢してと何度も言われた。

 

もうこのまま治らないかもと思った。

 

両腕に点滴され、尿管がつけられた。

 

年末29日の夜から続いたのたうち回る激痛は31日の紅白を観れるまでには回復した。

 

ちなみに、31日昼に出されたうどんは痛みのため食べれず、医師が出てくる1月4日まで点滴で過ごすハメに。

 

で、私のその時の病名は「糖尿病性ケトアシドーシス」。

 

まっ、初動の病院での点滴が引き金になったようです。

 

 

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運良く担ぎうこまれた病院が糖尿病の専門医のいる病院だったため。今でもたいへんお世話になっています。

 

その時に思いました。

 

病気はちゃんと信頼できる専門の先生に出会うことが大切なんだと。

 

だって、血液検査までして、夜間救急の医師に殺されかかったんですもの。ほんと怖いです。

 

家族はあまりにも私がのたうち回るもんだから、別の病気を想像し覚悟していたそうです。

 

ちなみに胃痙攣が収まり、胃薬をお願いした時に処方されたのがビオフェルミンでした。

 

病気は、おかしいなと思ったら早めに病院にいきましょう。

私の母は病院キライで糖尿病の網膜症で目を悪くし、白内障の手術ができずTVが観えないからつまらないと言ってました。そのせいで、ボケもすすんだようです。

 

まっ、私も母のことは言えないですが…。

 

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