『自分がバカにされたくない』というコンプレックス
最近、相方との喧嘩が絶えない。
相方は、「自分をバカにされたくない」人である。 私は、「自分をバカにされたくない」から人をバカにすることがない。
だから、私たちの結婚式で彼や彼の友達が初めて会ったばかりの我が恩師のスピーチをバカにして盛り上がっていることに違和感を初めて感じた。
なんてくだらない、ゲスだと思った。不快であった。
確かに学問的に多少の間違いがあったかもしれない、しかし、オメデタイスピーチであって、大学の講義を聴いているわけでもない。
自分たちはこんなに頭がいいと言いたいのであろうが、そんなのどうでもいい。
今まで自分の周りにいないタイプの人種であり、品がない輩と思った。
だから、相方のその品性を欠くような発言はいまでも不快である。
心理学者によれば
「他人をバカにするという行為は、『自分がバカにされたくない』というコンプレックスの裏返し。それゆえ、同族嫌悪的に他人がバカなことをしていると、つい過敏に反応して攻撃してしまう。そうやって他人の小さな失敗や間違いを責めてバカにすることで、『自分のほうが優秀だ』と優位性を保とうとするんです」
喧嘩の原因は、彼が往々にして『自分のほうが優秀だ』と優位性を保とうとすることにある。
私は、年上だし、大卒で、大手の会社で経験を積んできた。
だから、何度も仕事で失敗している彼に失敗しない方法を伝授しているつもりだが、
彼にはダメ出しにしか聞こえず不愉快だと言い一向に耳をかさず失敗を重ねる。
育った環境とはこれほども人間性に違いが出るものだと思う。
私は、彼に余裕をもって話を聞いてもらいたい。
いくら私を馬鹿にしてもよいから私の話に耳を傾けて欲しい。
私が見込んだ男だから、彼は私の話に耳を傾ければ確実に成功する男になる。
しかし、彼は耳障りのいい話しか望まない。
最近喧嘩する度に思う、見込み違いだったかもしれない。
確かに、私の母も私に対してとても厳しい言葉しか投げかけなかった。
どちらかと言うと母がキライなときもあった。
実際に、社会人になって「私のほうがずっと頭がいいし、人間的にもできている」と母に喧嘩のはずみで言った。
母は、ショックで泣き出し、父にこっぴどく叱られた。
その時は父を蔑ろにする母が許せなく喧嘩したのに、その父に怒られたのが理不尽に感じた。
でも、今になって母が私に厳しくあたったことにより今の私が形成されと感謝している。
母は、私に期待したからこそ厳しく接したんだと思う。
だから、相方からあなたは「ダメ出ししかしない」と言われて、こいつはダメだなと思った。
本当は、もっと器の大きい人間になって欲しいと切に願う。
人間に本質は知識だけでなく、知識や経験に基づく自信なのだ。
彼は気がついていない、いや気がついているのかもしれないが、『自分がバカにされたくない』というコンプレックスに支配されていることに。
そして、そのコンプレックスは自分が生み出していることに。
いいじゃん、誰がどう思おうと。
私は今まで両親がいてくれれば、誰が自分を評価しようがどうでも良かった。
そして、その両親を失って少々パニックに陥った。
そして、5年経った今、私は、失ったのではなく娘達のそれとなるべくして精進していくべきと悟った。