私のタラレバは…。
先週、日テレ「東京タラレバ娘」が最終回を迎えた。
なかなか、キャストもよく、私としては毎週TBSテレビの火曜ドラマ『カルテット』とともにかかさずみていた。
そこで50代の私のタラレバを昨日ふと考えた。
もし、「家に帰えりたい」と泣き叫ぶ母をおぶって家に連れ帰っていたら。
母は、もう少し長生きしてた?
長生きしてなくても、穏やかな生活を過ごせていた。
ここのところ、精神的に疲れている私は昨日プチ錯乱状態に陥り、娘に無視された。
すると、悲しくて悲しくて、病院に閉じ込められた母が一日中どんな思いをしていたんだろうと考えた。
何もすることがなく、一日をすごすのは長い。
私も、5年前に半月病院で過ごした。
ただ、私とちがって、母は認知症を患っていたので、何故自分病院にいなければいけないか判断ができなかった。
祖母も認知症で病院に閉じ込められていた。
私もいずれは認知症を発症して同じ運命をたどるだろう。
だから、私は何故母を病院から救い出せなかったか、救い出せていれば母は幸せだったに違いないという思いがあふれた。
でも、もう遅い。
いま、我が家は破綻寸前崖っぷち。
同じ崖っぷちになるんだったら、あのとき、稼ぎ頭の私があのブラック会社を見放してもよかったんじゃないという思いがあふれてくる。
リストラされた夫にかわり、家計を支えていたけれど、家庭を捨ててもよかったんじゃないの。
でもそうしなかったのは、誰の責任でもなく、私自身なんだ。
だって、父に「俺らのことより、お前は娘を守れ」って言われたけど、結局守れてないし。
だったら、私は、あの時点で母をおぶって家に連れ帰り、母と一日中一緒に過ごしてもよかったんじゃないかって…。
弟夫婦が母の面倒を見たくなくて、亡くなるまで病院に閉じ込めた。
財産だけは欲しいが親の面倒はみない子供になってはいけないと常々母は言っていた。
そんな母の言葉を素直に聞いた私は、祖母を病院から救い出そうとして、父の涙に止められた。
そして、母を病院から救い出そうとしたが、自分の家族を守るためにできなかった。
本当に情けない最低の娘だった私。
あのとき、もっと私の家庭が安定して、生活の余裕があっタラ。
あのとき、母と一緒に暮らしていレバ。
タラレバ言っても、もう、母はいない。
そんな大切な両親が自分たちよりも守れといった娘たちを、あれから7年も経つのに守りきれていない私。
私のキモチは壊れていく。
昨日はそんな思いを抱きながら、思い切り泣いて眠った。
タラレバ言ってもなんの解決にもならない。
泣いていても、状況が変わらぬ日がかならず翌日には訪れる。
自分で計画したことが絵空事でしかない現実。
ただ虚しく時間だけが過ぎていく。
なんで結果が伴わないんだって自分をせめる。
自分に怒りが沸き上がるが、何も変えれない現実があるだけ。
毎日何も考えず、嫌なことは忘れて過ごせたら幸せかもしれない。
でも、そこには生活があって、それを維持することを考えなくちゃいけない。
ポジティブにものごと捉えようとしていても、ちょっとした嫌なことで糸がほつれる。
昨日もそうだった。
私の中にタラレバが渦巻いて悲しくてなった。
何もしたくない病にかかってしまった。
どうにもキモチが沈んでいる。
どうしたもんかなぁ。