過信は禁物。私は大丈夫なんてことはありえないんです。--☆
私が初めて糖尿病を意識した、
いや糖尿病って知らなかったから、
糖尿を意識したのは大学生の頃。
尿に糖が出やすい体質かもって保健室の先生に指摘された。
日本人ばお米の国のひとだから多いのよって。
その時はそうなんだくらい思い、先生に言われたとおり、健康診断前は晩御飯を早めにすました。
次に、意識したのは母が15歳年下の弟を出産したとき。
母は、自分が糖尿病で親戚の女性はほとんど糖尿病だと教えてくれた。
ある叔母は糖尿病を患い、親知らずを抜いたときに糖尿病が原因で血が止まらず亡くなったらしい。
だから、お前もいずれは糖尿病を発症すると言われた。
糖尿病が怖いと思ったのは、五十代の母の友達が糖尿病を発症し、あっという間に網膜症発症、何度も手術を繰り返し片目失明、透析も始まり数年で亡くなった。
娘さんも同じ糖尿病で全盲となってしまった。
私は、娘を出産するときに妊娠性糖尿病を発症した。
二人出産したけど、いずれもインスリン治療をしながらの出産だった。
内科の医師からは出産して、一時的に治るが境界型糖尿病だから、いずれは糖尿病を発症するから定期的に受診するようにいわれたが、治療費がめちゃかかるから病院には行かなかった。
十年後、結局は、糖尿病が悪化し、みるみるうちに痩せて緊急入院した。
そうなんですよね、何度か悪化せずに治せるチャンスはあったんです。
私は大丈夫なんてありえなかったし、人生は一度しかなくて、もう取り返しはつかない。
現在、インスリン治療中であり、死ぬまでこの治療が必要。
治療していても、カラダのなかはボロボロで、網膜症を起こし、失明の危機に片足つっこんでいる。
幸い、とても優秀な主治医に診てもらっているので、失明はしていない。
私の網膜症の治療はレーザーと投薬。
目は、治療前は世の中がセピア色に濁り、血の糸が浮遊していた。
現在は、普通に見える。
ただし、黒い糸は常に浮遊して消えることはない。
主治医曰く、目の中心にはレーザーがうてず、中心にみずがたまっているためらしい。
失明はしてないし、普通に生活している。
自業自得であり、元には戻らないからあきらめるしかない。
しかし、生活習慣病は幾つかの場面で防ごうと思えば防げたかもしれない。
しかし、そのときは本当の怖さがわかってなかった。
自分は大丈夫と、どこに根拠があるわけでもなく勝手にしらんぷりしていた。
このままなにごともなく、すきに生きれるとおもっていた。
でも、人間、そんなわけにはいかない。
それを思い知ったのが、父の死だった。
父はスポーツマンで頑丈だった。
父が急性心不全で倒れ、病院で手術し、次の日病院のベッドにあぐらをかいて笑って話していた。
でも、一週間もしないうちにステント手術のために血管がつまり腸が腐った。
腐った腸を切り取る手術で自己呼吸ができなくなった。
傷口がふさがらず、腸から排泄物が漏れがはじまる。
口から食事がとれなくなった。
自己呼吸ができなくなった。
足が腐り始めた…。
急性心不全で運ばれた次の日に元気にベッドであぐらをかいて笑っていた父が。
どうして、回復しないでどんどん悪いほうへ流れてしまうのって思った。
そのとき思った、
どんなに医療が進もうと、
人間の体は切った貼ったじゃ治らない。
医療の限界を知ってしまった。
いろいろな人間がいて、
カラダのなかはいろいろで。
病院の医師は患者を救うために治療をしてくれる。
だから、最悪の事態になっても仕方ない。
しかし、私にとっては父はひとりで。
代わりはいない。
多分、どんな方法を取っても父は救えなかったかもしれない。
それにもう、父はいない。
父は言った『何もしないよりは、可能性があるなら手術をうける』
本人も納得していた。
だから、私も現在の私のカラダの状況はじぶんがまねいたのだから、それに専門の医師が治療を考えてくれ治療してくれているから納得している。
間違いとか、正しいとかないんだと思う。
あるとすれば、自分に最適な治療法と出会えるかどうかの運なんだと。
なんの病気にも罹らず、天命を全うするひともいる。
私は、代謝不全の一型糖尿病である。
この事実は変わらないし、治らない。
あとは、残りの人生をどのように調整するかだけ。
糖尿病は私の死の原因の第一候補だから、うまく付き合っていかなくちゃね。
病気に対して、私は大丈夫なんてありえないのだ。
私が、父はスポーツマンで血管が丈夫なんですって医師に言ったことがある。
医師はくびをかしげて、そんなことはありませんときっぱりいった。
心臓は強いかもしれませんが…。
過信は禁物。