自分の中のコントロールは「気」にあり--☆
2年前の今頃の私を思い出す。
家族のためといろいろなことをがまんして働いた。
でもすべては「気」のせいではなく、生活のために目をつむるのは限界だと感じた。
リアルに悪意の沼の中にいる状況、おとなしくしていれば、糾弾しなければ、なんとか給与は支払われるだろう。
その会社が沈みかけているのを知ってまともな人間は、異常な会社だと気づき、もしかしたら未払金が支払われないと分かっていても、自ら、会社を離れる。
私の大好きな叔父もそのうちのひとり。
大好きな叔父が去り、私はやっと目が覚めたのかもしれない。
会社の悪事を知り会社を糾弾する私を励ましてくれた同僚のおじさんも次の日に去った。
最近そのおじさんと電話で話した。
あんな最低な人間に初めて会ったよとあきれながら言っていた。
2年前に我慢せずに会社を離れてよかった。
昨日、元会社の関係者のひとりが、取引会社に私がいた悪徳会社が支払いを滞っているけどあの会社はどうなっていると聞かれたらしい。
そのかたは「沈みかけの会社」の社長は生きているのかとも尋ねられたらしい。
沈みかけの船を逃げ、海に飛び込んでから2年の私は、まだまだ岸に辿りつけていなけど着実に岸にむかって泳げている。
派遣の品格修行をはじめて1年とちょっと、今やVBAを組んで業務の効率化を手掛けるほど進化した。
アフィリエイトも1年とちょっと、0円だった稼ぎがなんとか1万円稼げるようになってきたから確実に泳ぎを身に着けている。
この非常な環境の中で、なんども心がボキボキと折れていった。
社会人になって一人暮らしを始めたとき、お世話になった研究室の先生から「毎月頑張って働いたお給与が生活費に消えていくのがむなしい」という私に「それが働くということなんだよ」って言われたことがある。
たぶん「その沈みかけの会社」を離れ海原に飛び込んだ頃は
なんでこんなに苦労をしなくちゃいけないんだろうと思っていた。
とても特別なことと捉えていた。
最近は、嫌な思い、くやしいこと、悲しいできごとにぶつかるのが人生。
特別ことじゃなくて人間生きていくうえで避けられないことである。
ぶつかったときにどうとらえ、どう対処していけばいいのか
つねに考えていかなければならないんだよなぁって漠然と思うようになった。
そして、心屋仁之助さんの言葉を無性に聞きたくなった。
たぶんね、自分の中には答えができているんだけど、うまく説明ができずに漠然としたものだったんだと思う。
そこでその答えをうまく言葉にしてもらうと、 そうそうそうなんだよって納得して安心する。
最近納得したのが「気」。
自分の中のコントロール「気」にありと思う。
今日は「気」をコントロールする師匠にお会いする。
ちょっと楽しみだ。