そして、私にあいをくれてありがとう。
誕生日って、ひとつ歳を重ねる日。
もうひとつは、母がたいへんな痛みを堪えて私を世に送り出してくれた日。
母は、実体としてはもういない。
でも、ちゃんと私の中にいる。
欲をいえば、夢の中で出番が多くなって楽しくおしゃべりしたい。
母からは生きてる時は、どちらかと言うと小言ばかりを言われた。
自分が子供を持つと、やっぱり私もついつい娘達に小言を言っている。
娘たちは、私をウザイと思っている。
でも、子供たちには幸せになってもらいたいから、
それと、きっとそんなキモチを分かってくれるという甘えがある。
母も私にそんな想いを抱いて怒ってくれていたんだろうな。
人のこころのなかなんて正直まったくわからない。
母や父のこころのなかだって分からなかった。
相方のことで両親と仲違いをしたこともある。
私は、両親よりも自分の新しい家族を守りたかった。
それを分かってくれないなら生涯両親とあわなくてもいいと心に決めた。
そして,2年近く連絡を経った。
そこには、私が両親なら分かってくれるという甘えもあった。
そしてある日、母から私に会いにきてくれた。
人のこころの中は見えない。
だから、人には信じるこころがあるんだと思う。
相手はその信じるこころに応えてくれる。
相手も自分のことを信じてくれている。
お互いの間に信頼関係が築けない仲は、自ずと会わなくなる。
いくら近くにいても平気で信頼を無くしてもいいや、
二度と会わなくてもいいやと思ったらジエンド。
それまでの関係でしかなかったのさ。
どんなに時や場所が離れていたって、
互いに会いたいと思うキモチがあれば縁はある。
母が私に会いに来てくれたように。
お母ちゃん、私を産んでくれてありがとう。
そして、私に愛をくれてありがとう。