老いには勝てないのかしら…老人性鬱
最近よく思うこと、老いたなぁ。
普段デスクワーク中心なんだけど、
立ち上がると、脚がパンパンで痛みを感じる。
老眼を二つ使い分け、パソコンと書類を読む。
画面に顔を近づけないと見えなかったりもする。
携帯用老眼は必須。
左下奥歯が3本抜けて、入れ歯が必要。
白髪が半分以上に増えた。
ざっとあげても、憂鬱になってくる。
オシャレしようにも、ぶくぶく太り。
肌は、ハリなくシミだらけ。
髪は薄毛で、そのうえ細くなりつやなし。
さらに、オシャレする目的がない。
唯一、娘がキレイなって、オシャレしていると刺激される。
でも、鏡で現実を観ると萎えてしまう。
確かに、同年代の友達はキレイだ。
私は、かなり手をかけてない。
最近は、自動的に肌の調整をしてくれるカメラアプリで自撮りしては現実逃避している。
先日も娘から「ママの顔、ツルツル卵肌のはずないんだから。現実を直視すべきだよ」と手厳しいコメントをもらった。
確かに、若い頃はチヤホヤされた。
今もどこかであの頃の自分を今の自分に重ね合わせて、安心していた。
でも現実は、かなりデブの薄毛でシミだらけのおばさんの姿なのだ。
そういう意味では、「裸の王様」の子供のごとく真実の声を娘たちが常にかけてくれる。
だから、おばさんは、キレイになりたいなと思うようになった。
で、自分の今の状態と向き合うようになった。
血がドロドロで網膜症が悪化した。
大腸の蠕動運動がほとんどないから万年便秘。
脚が常に浮腫むから血圧高め。
人間として最低な叔父親子にだまされお金を返してもらえないストレスがまったく解消されない。
このストレスが身体の不調の根源だと思ってる。
しかし、相手が人間として完全におかしいから誰ひとりとして矯正できない。
根っからの悪人だ。
世の中ためには檻の中に閉じ込める必要のある数々の所業を犯している。
しかし、法の目を盗み、恩義ある人々を苦しめのうのうと生活している。
最近は、神は人間を戒めるものであり、戒めを守らないものは野放しではないかと思うことがある。
いずれにしても、私を苦しめるストレスはゼロにはならない。
よって、病の根源と上手く付き合っていかねばならない。
なぜなら、この先、彼奴らが成敗されようが消滅しようが憎む心は一生私から消すことはないからだ。
つまり、私がキレイになるためにはストレスを克服しなければならない。
たぶんね、若さがあれば、未来があれば、目的があればことは進むんだよね。
老いは、いろいろとキモチをたのしくさせてくれないからね。
だって、花金でお酒飲みたいと思っても、胃が重いな、キモチが重いな、楽しくないな、、、
こりゃダメだ。(; ̄ェ ̄)