文書を書くということを考えてみた
私はほぼ日の糸井さんの今日のダーリンを読むのが好き。
先日、そのほぼ日のコンテンツに山田ジーニーさんの
「おとなの小論文教室。」を見つけた。
私は、テクニカルライターとしての顔を持つ。
そして、現在もライター修行をし続けている。
<テクニカルライターとライターって同じようなんだけど
まったく違うんだよね。
結婚退職きっかけにライターになりたくて、雑誌ライターの元で修行をした。
でも、そのとき色んな意味で挫折を味わった。
そのグループで仕事をしているときに、編集担当に私の文書を書き直された。
書き直された文書はすでに私のものではなくなっていた。
ライター修行中の私はそれが当たり前だと思って、
いつの間にか書き直されない文書を書くことに専念した。
でも、それまでテクニカルライターとして一線で仕事をしたプライドもあって
相方に書き直されることを愚痴った。
相方は、ITエンジニアとしてあなたが書いてきた文書を読む人間と
パソコン雑誌記事を読む人間が違うからだよと言われた。
山田ジーニーさんが小論文を描く上での大切なことのひとつ
「相手にとっての意味も考える。」ということなんだよね。
テクニカルライターとライターの違いは
この相手にとっての意味も考える。」が違うんだよね。
最近アフィリエイトを勉強するためにいろいろな先人の文書を読む。
すると、自分の言いたいことがキレイにまとまっている文書に出会うことがある。
そうそう、私の言いたいことはこういうことなんだって。
そして自分が書けないことが情けなくて凹んじゃう私がいる。
それは才能なのかもしれない。
でも、自分も一端のライターになりたいというキモチはある。
だから、今日も明日も自分が好きな文書を読んで勉強する。
実は、私、娘達の文書が好きなんだなぁ。
親バカかもしれないけど、素直なキモチや意見が今時の言葉で綴られている。
同じことを私が書いたら堅苦しくてつまらない文書が
娘が書くと楽しくてきらきらとした言葉で溢れていたことがある。
文書って面白いよね。