がむしゃらだってなんだってこれからさ
私は、長女だ。
そのせいか、何か目標を置くとがむしゃらに向かってしまう。
相方は、一人っ子だ。
始める前に考えて進まないことが多々ある。
堀江貴文氏「“でも”が口癖の人は一生ダメ」 | ワークスタイル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
その点で多々ぶつかることがある。
例えば、「リストラにあったらどうするか?」
私は、日雇いに出てでも家族を守ると考える。
相方は、日雇いに出て身体を壊し働けなくなったら困るから、自分に適した仕事が見つかるまで探し。その仕事に支障がでるので他の仕事はしないと考える。
どちらも間違ってはいないと思う。
実は、この質問は私の弟が私の結婚相手としてふさわしいか試すために相方にした質問だった。
弟の判定は、相方は姉の結婚相手としては失格と判定した。
今まさに我家はその状況に直面している。
そして、私達夫婦のとっている行動は、まさにお互いが昔答えたとおりである。
たしかに、私は今がむしゃらに働いている。
50代持病持ちなので、つい最近も娘からはその働き方は感謝しているけど、ハラハラすると言われた。
私が倒れても相方がいるから安心してがむしゃらな働き方ができるのかもしれない。
夫婦ふたりが倒れてしまったら我家はおしまいだから。
まったく異なる考え方で良かったのかもしれないとさえお気楽に考えている。
でも、お気楽だけではいかぬところもあり、イラつき、ウツの私もいる。
私の持病は血圧が上がるとたいへんよろしくない。
この年末年始の休みに入って問題が山積みとなり、回れ右したい自分が生まれた。
やらなくてはいけないことがあるのに、キモチが続かない。
血圧も高めで、体調もすこぶる悪くなってきた。
私の中に「何もかもやめちゃえ」というキモチと「ほらほらやらなくちゃ先にすすめないよ」というキモチが錯綜しはじめた。
いろいろなことが面倒に思えてきた。
なにかも忘れて眠ってみた。
起きると少し元気になるけど、仕事に手をつけるとひとつひとつを丁寧に紐解くことに
イラつく自分がいることに気がつく。
そうなんだ、自分は頑張りたくないんだ、やりたくないんだ。
私、そんなに強くないし、やり遂げられないしとココロが叫んでいる。
家族の誰ひとりとしてあくせく働いていないじゃん。
私ってばかみたい。
私なんかに家族を救える力なんてもともとないんだもん。
人間まっとうに生きていけばいいことがあるよって信じて生きてきたのに。
弱音ばかりが溢れかえる。
ほら、「でも…って言っちゃダメなんだよ」。
結果はこれからであり、はじまったばかりなんだ。
がむしゃら、結構!