私絶対普通の生活に戻るもん

50代、訳あってマルチタスクで働いています。









キモチの変化は何に起因する

 

娘たちが恋をするお年頃になった。

 
ちょうど糸井さんの今日のダーリンは
「立候補しない人は票が集まらない」という話題だった。
 
自分のことを振り返ると自分は好きな人から声をかけられるのをひたすら待ち続ける娘だった。だから想う相手と恋人同士になれることなくせいぜい友達か妹どまりだった。
 
私の娘たちは女の子のほうからコクルらしい。時代は変わったなぁと思ったが、糸井さんの話を読むと実はとても理にかなっているんだなと思う。
 
恋するキモチ、ドキドキしたり、切なくなったり、ほんとなつかしい。
 
恋は盲目といいますが、恋をしているときはいいところしか見えない。けど恋愛が成就し距離が近づくと見えていなかったことが見えてくる。
 
相手のことをたくさん見えるようになると、ますます相手のことが好きになればいいが、時としてキモチがはてなマークを出してしまうこともある。それは、自分の場合もあるし、相手の場合も。
 
どっちかが冷めてしまってはうまくいかなくなるし、一度別れてしまったら復縁はかなり難しい。
 
今だから冷静に判断できるけど、昔の私は、本当はぜんぜん好きでもないのに何故か追っかけるキモチを制御できなくなった。原因は振られたことなかったこと。自分を振る人がいるなんて考えてもみなかったあのころ。好きな相手には好きだと言えず、恋愛もまともにできず大人女子になっていた。決まって言い寄られ、やっとその気になると相手が冷めている。その温度差の違いにキモチが誤作動を起こし、とても不幸な恋愛しかしてこなかった私。
 
そんな経験から好きな相手にちゃんと自分の想いを伝える娘の恋愛スタイルはとてもいいと思う。だって人生一度しかなくって、気がつくと不幸な恋愛しかしてこなかった私はあっというまに50代。
 
そんなたしない恋愛経験から、娘に伝えていることはたくさん恋愛しなさい、ダメになったらささっとキモチを切り替えて新しい恋を見つけにいく。キモチを引きずる時間ほど無駄なことはないと思う。その瞬間は、その男性しかいないと思うけど、それはキモチが勝手に作り上げている幻想。本当に縁があり、お互いのキモチが合致すればうまくいくはず。うまくいかないのは相手にキモチが自分に向かっていないから。向かっていないものを向かわせるほど難しいものはない。それよりは自分にちゃんと合う新しい恋を見つけたほうがずっといい!
 
ただし、キモチの制御はとても難しい。キモチの制御にはたくさん恋愛本を読み、ドラマや映画を観て、パターンを知り、自分のキモチの制御を経験を重ねないとね。自分のキモチといえども、たやすく扱えるものでもないから。50歳で安定した私が昔のジブンを省みるととても冷静に判断できる。
 
もしかしたら、時間が経つことにより悟りが開けるのかもしれない。今の私なら冷めた相手に何を言っても受け入れられないこと、最初から本気じゃなかったこと、今ならお見通しだからこちらからサッサと別れる潔さがある。まっそれだけ私にパッションがなくなってしまったともいえる。
 
不思議に昔恋愛関係になった男性はだれひとり好きではなかったと今でははっきり分かる、恋するキモチだけだったから。恋という魔法が解けてしまうと、魅力もなにもない面々だった(あっ、1人だけ魔法が解けても今でも好きなやつがいる。相方だ)。
 
あとは恋愛しているときに家族がそばにいるかもキモチの安定度を決定づける。とにかく一人暮らしをする前の私はとにかく潔かった。要するに深追いをしなかったのだ。キモチの誤作動など起こさなかった。まっ、そのため恋愛には無菌状態となってしまったけどね(笑)。
 
それから、今でも友達の男性はみーんな素敵で今でも大好きな面々である。娘には好きな男性とずっと友達でいるということはこの年齢になるとよかったと思うことがあるよとも話す。
 
我家では家族で恋愛ドラマを観ながら客観的な意見を言い合うことがたまにある。つい最近はドラマじゃなくてよそ様のおうちのことなんだけど、大沢さんと喜多嶋さんの裁判沙汰に話が及んだ。
 
私がうら若き娘のときは、家族でそのような話をするのはタブーだった。でも、ドラマなどは恋愛のとてもいい教本となると思うんだ。たとえば、松潤の「失恋ショコラティエ 」はとてもいいネタになった。
 
余談であるが、私両親はそれぞれの兄弟に恵まれず仲が悪かった。それを幼い頃から見てきた、その頃は仲が良かった弟が「どんなことがあってもずっと兄弟仲良くしようね」と私に言った。しかし、月日が流れ弟は育ちの悪い女性と結婚、愛する母を見殺しにした。それに苦言を呈した私と縁を切り、人としてあるまじき行為を繰り返す人間になった。同じ血を分け同じ両親に徳を学んだ兄弟であっても人のキモチとははかりしれないと思う。亡くなる1年前に母は私に「弟が兄弟とは思えぬ発言をしているから気をつけろ」と私に忠告をしてくれた。その忠告は母の溢れんばかりの私と孫への愛情であったと今さらに想う。なぜなら、母は誰よりもその弟を愛してやまなかったからだ。
 
人のキモチとは、時間、とりまく状況で変化するものである。たとえ、親子であってもだ。まして赤の他人はもっと難しいと思う。
 
ありがとうございます(◍•ᴗ•◍)
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